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ローデシア軍の特徴

ローデシアの白人は、老若男女を全部あわせても、約22万人しか存在しなかった。その人数で500万人以上の有色人種を支配しようとしたのだから、ローデシア軍では慢性的に兵員不足だった。

ローデシア軍の特徴

ローデシア軍では、兵員不足の解消と、部隊の質を向上させるため、アメリカやヨーロッパ諸国で、ジャングル戦や対ゲリラ戦の実戦経験を持つ傭兵を広く募集した。実際に、1970年代には米国の雑誌"Soldier of Fortune Magazine"に、ローデシア軍の募兵広告が見られる。こうしてローデシア傭兵が誕生する。

ちなみに、傭兵の募集を公然と行うことは、国際社会では許されない。そのため、Soldier of Fortune Magazine誌には、「ローデシア軍の傭兵募集ポスターの複製品を1枚3ドルで販売しています」と掲載し、傭兵募集の広告ではなく、あくまでも商品の販売広告である、としていた。

ローデシア軍に加わった白人傭兵の多くは、イギリス、南アフリカ、ポルトガル、香港、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカの出身者だった。その中でも、ベトナム戦争で実戦経験を積んだアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの元軍人は高く評価されていた。他にも、コンゴ動乱の元傭兵や、フランス外人部隊の出身者なども、ローデシア軍に参加している。

このような、実戦経験豊富な傭兵達に加え、非常に厳しい訓練によって、1970年代にはローデシア軍は世界で最も訓練された軍隊のひとつとなっており、その戦闘力は世界有数のものだった。

ローデシア軍募集ポスター

また、白人傭兵の中にはローデシア軍ではなく、白人農場主に雇われ、農場を警備するための私兵となる者も存在していた。なぜなら、ローデシア紛争中、地方の農場や村は頻繁にゲリラ部隊からの攻撃を受けており、白人市民の車両移動には、ゲリラ部隊の攻撃に備えて、車列警護車が付き添う必要があったからだった。また、白人市民の多くは私用の武器を所持しており、白人の主婦が、短機関銃を携行することも珍しくなかった。

ローデシア軍の戦闘力

実際に、ローデシア紛争においてローデシア軍は、十分な航空戦力や重火器を所有していなかったにも関わらず、ソ連邦と中国から十分な装備を供給され、兵力でも優位なゲリラ部隊に対して、終始8倍という高い殺傷率を維持していた。また、高度な訓練を受けていた特殊部隊では、ゲリラ部隊の35倍から50倍の殺傷率を誇っていた。

ゲリラ部隊に対して武器や装備の面で特に優勢とも言えぬ状況で、ローデシア軍が戦果をあげることが出来た理由の一つは、ローデシア軍の兵士が受けた軍事訓練がゲリラ部隊が受けた訓練よりも優れていたからだ。

軍事訓練
ローデシア軍の訓練

ローデシア紛争当時にローデシア軍兵士が受けた軍事訓練は、オペラント条件付けによる現代式の軍事訓練だったが、ゲリラ部隊の兵士は、そのような現代式の軍事訓練を受けていなかったため、ローデシア軍とゲリラ部隊の殺傷率に大きな差が出たのだった。

また、条件付けによる現代式の訓練を十分に受けていない兵士は、人間を殺すことに対する、本能的な抵抗感を克服することが出来ないため、敵と接触しても、空に向かって発砲するなどの、威嚇行動を本能敵に行う傾向がある。ゲリラ部隊の兵士は十分な訓練を受けていなかったため、その傾向が強かったことも、ローデシア軍が有利になる要因だった。

ローデシア紛争の復員軍人の証言によると、ローデシア軍部隊がゲリラ部隊と接触した際の戦闘手順は、どんな時でも、背嚢を捨てて敵兵に突撃することだったそうである。そんなことをすれば、ゲリラ部隊の良い標的になりそうだが、実際には、ゲリラ部隊の射撃した弾丸は、ローデシア軍部隊の頭上を飛んで行くだけだったため、銃撃戦では常にローデシア軍が優位だったそうである。そのため、ローデシア軍兵士が銃撃戦で戦死することは、滅多になかったそうである。

さらには、1978年3月からは、部隊の機動性向上のため、歩兵全員に空挺降下の資格取得が義務付けられた。特殊部隊などに至っては、迫撃砲や乗馬などの資格も要求された。

ローデシア軍の一般的な訓練期間は21週間で、3段階に分かれていた。第1段階は基礎訓練を8週間、第2段階は歩兵訓練を8週間以上、第3段階は作戦訓練を4週間以上というものだった。

人種差別
ローデシア軍の訓練

ローデシア軍とアフリカ人解放組織の殺傷率に大きな差が出た、二つめの理由として、文化的価値観と社会的習慣があげられる。まず前提として、白色人種は有色人種よりも、人種的に優位であるとする、ローデシアの白人が持つ文化的価値観があげられる。

そのような思想に基づき、ローデシア社会は白色人種を頂点として、人種事に階層化された社会であった。そのため、白色人種は有色人種を人間以下の存在であると考える社会的慣習を持っていた。ローデシアでは、このように文化的価値観と社会的慣習が重なり合った(言い換えれば人種差別主義の)ため、白人兵士は殺人行為を容易に行うことが可能だったと思われる。

このような、自民族は他民族よりも優れた存在であるという思想が、兵士の殺傷率を上げる現象は、アーリア人は他民族に優越していると主張したナチス・ドイツ軍においても見られる。実際に、第2次世界大戦の全期間において、ナチス・ドイツ軍兵士が殺傷した米英軍兵士数は、アメリカ軍とイギリス軍が殺傷したナチス・ドイツ軍兵士数の1.5倍だった。

ローデシア軍の兵役義務

近代的軍事訓練と人種差別を利用して優位に戦ったローデシア軍であったが、兵員不足を埋めることは難しく、従軍期間は次第に延長された。1955年には4ヵ月半だった従軍期間は、1966年には9ヵ月へと延長され、1972年12月には防衛法により12ヵ月へと更に延長された。

兵役義務は戦況の激化にともない、1976年から1977年にかけて大幅に拡大されていった。18歳から25歳の白人男性に対する兵役義務は、1976年5月には12ヵ月から18ヵ月にまで延長され、1977年1月には25歳から38歳までの白人男性の兵役義務期間が年間190日に定められた。

兵役義務の拡大は、白人男性だけに留まらず、1977年2月には、アフリカ人を除く、白人、アジア人、カラードの38歳から50歳までの男性に対して、年70日間の兵役義務が課せられた。さらには、1979年1月、都市部に在住の50歳から59歳までの白人、アジア人、カラード男性に対して、年42日間の兵役義務が課せられた。

さらには、アフリカ人男性に対する徴兵制度が1978年9月に導入され、1979年8月には16歳から50歳までのアフリカ人男性が兵役義務の対象とされた。

このように、ローデシア軍は兵員不足を解消するために、兵役期間を延長し徴兵制度の対象者を拡大していったが、人種を問わずに徴兵拒否者が相次いだ。例えば、1979年1月時点で、アフリカ人兵役義務者1544名のうち1244名が兵役を拒否、また、同時点の白人兵役義務者1500名のうち415名が兵役を拒否した。長引くローデシア紛争は人々を疲弊させ、人種を越えて厭戦感を広げていったのだった。