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ローデシア空軍の航空機

ジェット戦闘機を装備したローデシア空軍は、ローデシア紛争の全期間を通して制空権を握っていた。また、ローデシア空軍はCOIN機を積極的に運用し対地攻撃任務にあたらせたり、陸軍と協同しファイヤー・フォース攻撃を実施するなど、独自の作戦を実行していた。

ローデシア空軍が使用した航空機

ローデシア空軍の編制については、ローデシアの空軍を参照。

SA316/319 "Alouette V"

アルエートV

アルエートVは、1959年にフランスのシュド・アビアシオンが開発した汎用ヘリコプターで、正式名称をSA316またはSA319と言う。アルエートVは、冷戦中に世界中の紛争地帯で、幅広い用途に使用された。

アルエートVは、南アフリカ軍によって、パイロットと共にローデシアへ持ち込まれ、ローデシア空軍でも幅広い任務に使用された。ファイヤ・フォース攻撃においては、対地攻撃、兵員輸送、迫撃砲の弾着観測、負傷者の後送などを行い、ファイヤー・フォース攻撃には無くてはならないヘリコプターだった。

対地攻撃用のアルエートVは、武装ヘリに改造されていた。機体左右に、1挺ずつのブローニング重機関銃を設置した機体は"G-Car"と呼ばてれいた。機体内部から側面に突き出すように、ブローニング重機関銃4連装か、モーゼル20mm機関砲1門の、どちらかを装備した機体を"K-Car"と呼んでいた。アルエートVの活躍が無ければ、ローデシア軍は、ローデシア紛争初期において、首尾良く作戦行動を取ることが出来なかったであろう。

Bell 205A "Cheetah"

ヒューイ・ヘリコプター

Bell 205は米国のベルエアクラフト社が1956年に開発した汎用ヘリコプターで、米軍で採用されベトナム戦争で大量に使用された。米国以外にも英国や英連邦諸国を初めとする多くの西側諸国で使用された。ベトナム戦争映画での露出が多いことと、日本でも富士重工がUH-1Jとしてライセンス生産しているため、日本人にはもっとも見覚えのあるヘリコプターである。

ローデシア空軍では、南アフリカ軍が持ち込んだ、アルエートVを使用していた。しかし、国際社会の圧力により、1975年2月11日に南アフリカ軍がローデシアから撤退することになり、アルエートVが使用出来なくなってしまう。ローデシア軍は機動性を重視していたので、ヘリコプター無しの作戦行動は困難だった。そこで、ローデシア軍は、あらゆる方法を使ってヘリコプター調達を図る。そして、ローデシア紛争末期(1979年頃)にイスラエルからBell 205の入手に成功する。もしも、Bell 205が無ければ、ローデシア紛争末期に遂行された越境攻撃は実施することが出来なかっただろう。

Cessna 337 "Lynx"

セスナ337 リンクス

セスナ337は、セスナ・エアクラフト・カンパニーが1950年代に開発した、機体の前後にプロペラを持つ、双発の民間レシプロ機だった。その後、1966年にはO-2スカイマスターとして米軍に採用され、ベトナム戦争で前線空中統制に使用された。

ローデシア空軍でも、セスナ337が採用されリンクスと呼ばれていた。リンクスはCOIN(Counter Insurgency)機として運用され、武装は12.7x99mm機銃を2挺と、37mmSNEBロケットランチャー、ナパーム弾だった。リンクスのようなCOIN機は、レーダーや爆撃照準コンピューターを搭載していないため、目視と地上からの誘導により目標を攻撃したり、地上と連携して空中管制や弾着観測なども行った。

米軍でセスナ337が採用された経緯には、O-1Aバードドッグが単発で生存性が悪かったことが理由としてあげられる。双発のO-2スカイマスター(セスナ337)なら、被弾や故障で1つのエンジンが停止しても飛行を続けることが出来たからだ。しかし、ローデシアでは事情が違った。ローデシアは国土の4分の1が標高1200〜1500mの高原だったことと、リンクスは重武装で機体重量が重かったことが重なり、1つのエンジンが停止した場合、飛行を続けることが出来ずに墜落するとして、ローデシア空軍のパイロット達からは非常に人気が無かった。

ローデシア紛争末期には、アフリカ人解放組織も対空火器を装備するようになったため、リンクスにも損害が出るようになる。

SIAI-Marchetti SF-260 "Warrior"

SIAIマルケッティ SF-260 ウォーリアー

SIAIマルケッティSF260は、SIAIマルケッティが1966年から製造している軍民両用の単発レシプロ機である。民間型はA型、軍用練習機型はM型、軽攻撃機型がW型として生産されていた。

ローデシア空軍では、SF260は軽攻撃機および練習機として使用され、軽攻撃機型はウォーリアーと呼ばれた。軽攻撃機として使用されたSF260は、セスナ337と同様にCOIN任務で使用された。SF260には固定武装は無く、主翼下のハードポイントに機銃ポッド、ロケットランチャーポッド、ナパーム弾などを装着して任務にあたっていた。

ローデシア空軍では、W型だけではなく、M型の民間向けであるB型を改良した、C型も使用されている。ちなみに、W型とM型との大きな違いは、W型には主翼下にハードポイントがあるが、M型にはハードポイントが無いこととされている。

SF260の原型となった、SF250の初飛行は1964年7月15日で、優秀な軽飛行機の設計者であるステリオ・フラティが設計した。そのため、1960年代に設計された軽飛行機の中では非常に先進性があり、優秀な軽飛行機であった。

Aermacchi AL-60F-5 "Trojan"

アエルマッキ AL-60は元々、L-402の名称でロッキード社のアルバート・ムーニーが設計した軽飛行機である。1959年に少数の試作機が生産されたが、ロッキード社は米国市場では利益が無いとして、L-402をそれ以上生産しなかった。

だが、イタリアのアエルマッキ社と、メキシコのロッキード・アスカラテ社が、L-402のライセンスを取得し生産した。アエルマッキ社が生産した機体はAL-60と言い、ロッキード・アスカラテ社が生産した機体はLASA-60と言われる。LASA-60は1960年に生産が開始されメキシコ空軍で採用された。

ローデシア空軍は、アエルマッキ社がローデシア空軍のために製造した、AL-60F-5をCOIN機として装備しており、トロージャンの愛称で呼ばれていた。ローデシア紛争初期のファイヤー・フォース攻撃で、トロージャンは尖兵の役目を果たした。

また、AL-60には着陸装置が前輪式のものと、尾輪式のものがあるが、ローデシア空軍のAL-60F-5は前輪式である。

DC-3 "Dakota"

ダコタ DC-3

DC-3は、1936年に米国のダグラス・エアクラフト社が開発した双発のプロペラ輸送機で、1941年にはC-47 スカイトレインとして米軍に採用された。

英空軍では「ダコタ」として採用され、英連邦諸国でも広く使用された。その他にも、ソ連邦や日本でもライセンス生産されるなどして、DC-3は1万機以上が生産されている。

ローデシア空軍もダコタ(パラ・ダック)を所有していた。ローデシア空軍では慢性的にヘリコプターが不足していたため、ファイヤー・フォース攻撃時に、ダコタから敵前への超低空のパラシュート降下を行うことで、ヘリコプター不足を補っていた。

1975年2月11日に南アフリカ軍が撤退した後は、ヘリコプターが決定的に不足したため、ダコタがファイヤー・フォース攻撃の主力を担うようになっていった。

Hawker Hunter FGA9

ホーカー・ハンター戦闘機

ホーカー ハンターは英国のホーカー・シドレー社が、1948年に開発した亜音速ジェット戦闘機で、1954年から英空軍に配備され、英連邦諸国などに広く採用された。ローデシア空軍が装備していたのはホーカー ハンター FGA9だった。

ハンター戦闘機は、同時期に米国やソ連邦で開発された、超音速戦闘機には性能で劣っていたが、兵装の搭載量が多く、低空での機動性も高かったため、対地攻撃機として運用された。

ハンター戦闘機は、同時代の超音速戦闘機には、性能で劣ると思われていたが、運動性の高さから、空中格闘戦能力はF-86やF104を上回っていた。なんと、ミラージュVを撃墜した記録も残っている。

ローデシア空軍において、ハンター戦闘機は主力戦闘機として使用され、対空・対地の両任務に使用されていた。

ホーカー・ハンター戦闘機

ローデシア空軍には、26機のハンター戦闘機が所属していた。しかし、実際に全てのハンター戦闘機が作戦行動を実施出来たかは疑わしい。

なぜなら、ローデシアは経済封鎖により航空機部品などの輸入が出来なかったため、予備部品を入手することが出来ず、整備を十分に行うことが出来なかったからだ。

ローデシア紛争末期の越境作戦時には、MiG戦闘機がローデシア空軍機の迎撃に出てくることもあったが、MiG戦闘機のパイロットはハンター戦闘機との空中戦を避ける傾向があったため、ハンター戦闘機はローデシア紛争集結まで制空権を守り続けた。

de Havilland Vampire FB9

デハビランド バンパイア戦闘機

デハビランド バンパイアは英国のデハビランド社が、1943年に開発したジェット戦闘機で、1946年から英空軍に配備され、英連邦諸国を初めとする多くの国に採用された。ジェット黎明期の機体であるため、機体の形状に試行錯誤が見られる。その試行錯誤の結果、胴体に双ブーム形式を採用している。ジェット黎明期のジェット戦闘機としては、成功作と呼ばれている。ローデシア空軍が装備していたバンパイヤ戦闘機は、戦闘攻撃機型のFB9と、練習機型のT55だった。

ローデシア空軍には、12機のバンパイヤ戦闘機が所属していた。ローデシアは経済制裁を受けており、航空機の新規調達が難しかったため、ローデシア空軍では、バンパイヤ戦闘機のような旧式機も現役で使用されていた。それでも、やはり老朽化が進んでいたため、非常に差し迫った緊急時にしか使用されなかった。ローデシア空軍のバンパイヤ戦闘機はローデシア紛争終結まで使用されており、世界中で最後に使われたバンパイヤ戦闘機だった。

English Electric Canberra

イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ戦術爆撃機

イングリッシュ・エレクトリック キャンベラは、イングリッシュ・エレクトリック社が1949年に開発した戦術爆撃機で、優れた運動性能を持つ爆撃機だった。そのため、英空軍および英連邦諸国以外にも、米国など多くの国で採用された。

ローデシア空軍には、10機のキャンベラMK8が所属していた。キャンベラMK8は阻止任務に特化された機体である。キャンベラ爆撃機は運動性能の高い機体であったが、ローデシア空軍では、その性能を出し切ることは出来なかった。

なぜなら、ローデシア空軍のキャンベラ爆撃機は、非常に状態が悪い上に、予備の部品を入手することが出来なかったため、機体に負担が掛からぬよう、エンジン出力を下げ、最高飛行速度を落として運用されていたからだ。ローデシア空軍には1976年の時点で、キャンベラ爆撃機が10機しかなかったが、このような理由から、数機は予備として運用されていた。

イングリッシュ・エレクトリック キャンベラ戦術爆撃機

ローデシア紛争初期には、制空権をローデシア空軍が掌握していたことに合わせて、アフリカ人解放組織が有効な対空兵器を装備していなかったため、キャンベラ爆撃機は一方的に爆撃をすることが出来た。

しかし、ローデシア紛争末期には、アフリカ人解放組織も有効な対空兵器を装備するようになり、キャンベラ爆撃機にも損害が出るようになる。

写真は、アフリカ人解放組織が装備する、SA-7携帯型地対空ミサイルの攻撃を受け、左翼エンジンが大破したローデシア空軍のキャンベラ爆撃機である。

ローデシア軍とアフリカ人解放組織の航空機

ローデシア軍とアフリカ人解放組織が使用した航空機を記載した。表の中にはローデシア紛争時には退役していた航空機も含まれている。

航空機の種類 ローデシア軍 アフリカ人解放組織
ヘリコプターAlouette V
Alouette U
Bell 205A "Cheetah"
不明
戦闘機Hawker Hunter FGA9
de Havilland Vampire FB9
Supermarine Spitfire Mk22
MIG-17
MIG-21
爆撃機Canberra Mk8
Hawker Hart
Hawker Audax
不明
COIN機Cessna 337 "Lynx"
SIAI-Marchetti SF-260 "Warrior"
Aermacchi AL-60F-5 "Trojan"
Percival Provost Mk52
不明
軽飛行機Britten-Norman BN-2 Islander
Beechcraft Baron 55
Hunting Percival Pembroke
Cessna 172
Cessna 175
Cessna 182
Cessna 205
Cessna 206
Cessna 207
Cessna 421
de Havilland Dragon Rapide
Avro Anson
Auster J-1 Autocrat
Auster J-5 Autocar
不明
輸送機Dakota DC-3
DC-7
Canadair C-4 Argonaut
不明
練習機de Havilland Vampire T55
SIAI-Marchetti SF-260 "Genet"
Fairchild PT-26 Cornell
de Havilland Tiger Moth
de Havilland Leopard Moth
North American Harvard
不明